岩井から、洗車勘四郎へ ――その名を捨てた時、覚悟は始まった――

……静かだ。
水の音だけが、辺りに響く。
名を呼ばれることはない。
ただ一台、目の前にあるだけだ。
その男、かつては「岩井」と呼ばれていた
かつて――
この男は、岩井だった。
洗車をし、
車内を拭き、
汚れを落とす。
だが心の奥で、
こう思っていた。
「このくらいでいい」
「今日はここまででいい」
――それは、弱さだ。
名を変えるということ
ある日、悟った。
名がある限り、人は逃げる。
名がある限り、言い訳が生まれる。
ならば――
名を捨てるしかない。
その瞬間、
男は名乗った。
「洗車勘四郎」
それは通り名ではない。
覚悟そのものだ。
勘四郎は、逃げない
洗車勘四郎は、
表面を濡らして終わらせない。
鉄粉があれば、向き合う。
水シミがあれば、削ぎ落とす。
臭いが残れば、原因を追い詰める。
楽な道は選ばない。
早い道も選ばない。
選ぶのは――
正しい道、ただ一つ。
黒は語る。汚れは嘘をつかない
黒い車は、すべてを映す。
誤魔化しも、甘えも、覚悟の差も。
だから勘四郎は黒に挑む。
ボンネットに浮かぶ白い斑点。
それは汚れではない。
積み重ねられた時間だ。
拳を入れるように、
一工程ずつ、確実に落とす。
車内は、戦場だ
嘔吐、灯油、飲み物の飛散。
「もう無理だ」と言われた空間。
だが――
洗車勘四郎は、退かない。
なぜならそこは、
誰かの居場所だからだ。
家族が乗る。
子供が笑う。
人が生きる。
戦う理由は、十分だ。
岩井は死んだ
はっきり言おう。
岩井は、もういない。
いるのはただ一人。
洗車に命を賭ける男。
もしあなたが、
「適当な洗車」でいいなら、
ここには来なくていい。
だが――
覚悟の洗車を求めるなら。
最後に
洗車勘四郎は、名を名乗る。
「この一台、
 俺が仕上げる」
その瞬間、
車は生まれ変わる。
……お前は、もう綺麗だ。